「一休さん」でお馴染みの一休宗純。臨済宗大徳寺派の僧でありながら、飲酒肉食や、髑髏の付いた杖を持って歩くなど奇行の多さからトンチの効いた問答をする「風変わりだが世相を深読みする善人」というイメージがついたようです。
ただ、元々禅宗には「風狂」という仏教本来の常軌を逸した本来否定される行動を、逆に悟りの境遇を現したものとして肯定的に評価する教義が有るそうです。禅宗の教義に精通していた一休だからこそ、奇行を行ったのかもしれません。そんな形式にとらわれない大衆的な生き方が歓迎されて、後世「一休咄」のようなトンチ話が生まれたのかも知れません。
さて、その一休さんが遺言を残したという「説話」があります。
一休が弟子を呼び遺言の入った箱を渡した。その際「仏教の危機、大徳寺の危機が訪れた時にこの箱を開けよ」と伝えた。一休が亡くなり、大徳寺存亡の危機が訪れた。弟子が箱を開けて一休の遺言を読むと、そこには「心配するな、大丈夫だ」とだけ書いてあった。
ただ単に楽観主義で弟子たちを落ち着かせるためでしょうか?「やるべきことをやったのだから、今さらジタバタせず、今できる最善のことに集中せよ」ということではないでしょうか?
遺言を預けた時「仏教の危機、大徳寺の危機が訪れた時にこの箱を開けよ」と言ったのは、「そのためにできる重要事項を徹底的にやっておけ」というメッセージを一休和尚独特の言い回しで伝えたのでは無いでしょうか?
「人事を尽くして天命を待つ」という言葉があります。天命は、やるべき重要事項をやり尽くした上で待つ。重要事項を為さない者には天命は訪れもしない。
私たちは、人生に於ける「重要事項」を皆様と一緒に考え、安心できる生活がいつまでも送れるよう全力でサポートさせていただきます。
一休は、87歳でマラリアにより死去。最後の言葉は「死にとうない」だったそうです。