いま自宅には2袋のお米があります。
先々週のこと。母から「お米買ったから取りにおいで!」との電話。今回の米不足で店頭のお米は品薄、仕事帰りに買おうにも既に品切れで「お弁当のお米にも事欠くわ…」と電話で母に愚痴った後日のことでした。
休みになったら取りに行こうと思っていた矢先、再度母から電話があり「今日もお米買っておいたから!」
そろそろ重い買い物は私がやるよ、なんて言っていたのにまるで逆。今年傘寿を迎えた父&来年傘寿を迎える母が元気でいてくれて、更に娘を気遣ってくれること本当にありがたいばかり。
ここ数年、友達のご両親が施設に入られたという話を頻繁に耳にするようになってきました。両親にはずーっと元気でいて欲しいと切に願うけれど、現実はそうはいかないとどこかで分かっている私。
「今」と「これから」、両親と過ごせる時間を大切にしていきたい。目の前にある2袋のお米を見つめながら、そうしみじみ思っている今日この頃です。
1歳4か月の女の子と生後50日の男の子の、日々成長していく姿は楽しいなと、ワクワクな毎日です。大好きな姪夫婦に2人目の赤ちゃんが産まれ、瀬谷に引越してきました。私はほぼ毎週通っちゃってます。
今、上の女の子がいろんな形で話しかけてくれます。拙い言葉だけれど、全身を使って何かを伝えようとしている姿には、楽しくて面白くてほっこり。自然と笑顔になります。
「生まれたての赤ちゃんは、空のコップを持っていて、大人にいろんな言葉をかけられることで、コップに水が貯まるように、知識がどんどん増えていく。そしてある時その知識はコップから溢れるように、例えば言葉だったり仕草で現れてくる。わからない言葉で話した時でも、その言葉を正すのではなく、同調したり肯定したりすることが大切」という話を何かで読みました。
思い返せば、彼女の表現を正そうとしたり、違うよって言ってたかも。そんな時彼女は「?」な困った顔をしていたなぁ、と反省。
彼女の表現を良く見て、耳を傾け、何を言いたいのか想像し、これからもたくさん話していけたら良いなぁと思っています。
日傘始めました。とは言っても、いつもカバンに忍ばせている小型の折り畳み雨傘を日傘代わりに使っています。
きっかけはお客様宅への訪問、徒歩20分。梅雨はどこへ行ったのかと思える6月の炎天下。日陰がなく、空からも地面からもジリジリと、オーブンに入れられて調理されているかのよう。そう言えば傘あったなと気がついたのです。
一瞬「男子が日傘なんて」と躊躇しましたが、陽射しから逃れたい一心で傘を開きました。すると何という事でしょう。軽さとコンパクトさが売りの折り畳み傘、全開しても肩幅程度しかないのです。お日様の角度を考え、傘の作る小さな陰になんとか体が収まるよう調整しながらお客様宅まで歩きました。そんな窮屈な思いはしたものの、なんと快適なことか。あれだけ求めていた日陰の中にずっといながら歩けるのです。日傘に慣れた女性にとっては「何を言っているのだか」と思われるでしょう。しかし、日傘の経験がない男子にとっては最早革命なのです。
男性の方、一緒に日傘、始めませんか?